コーヒーの歴史:コーヒー好き驚愕のコーヒー禁止令とは。

ドイツのコーヒー禁止令

コーヒー禁止令の発動

 

世界的にもコーヒーは嗜好品の代表例として多くに人に親しまれています。

 

しかし、歴史上ではこのコーヒーが禁止されるという事態もおきるほどの問題も引き起こしたことがありますがご存知でしょうか。

 

それが、現在のドイツ、当時はプロシアの時代でした。ヨーロッパで起きた7年戦争で勝利したプロシアはフリードリッヒ大王により統治されていました。

 

しかし、戦争により土地は荒廃してしまい、経済を立て直すべくいろいろな経済政策を行うも、プロシアのフレデリック大王を始めとし、大のコーヒー好きの国民性ともあって、コーヒー消費量の増加はとどまる事なく、様々な政策によって得た資金もコーヒーの生豆を購入するために海外へ流出するという深刻な事態に悩まされていたのです。

 

当時のプロシアは植民地も持っていなかったため、輸入する為には、多額の外貨が必要だったのです。

 

そこでフリードリッヒ大王は、経済を立て直すには、消費を減らし輸入量を減らそうと考え、健康には悪い飲み物であると医者に言わせたり、いろいろな方策を立てては消費量を抑える努力が行われたようです。

 

輸入量が減れば当然ながら、値段は高騰します。コーヒーは更なるぜいたく品となるのですが、それでも消費量はなかなか落ちずに外貨流出の大きな原因となり続けてしまったのです。

 

この状態では国益を損なうと判断し、フリードリッヒ大王は遂に『コーヒー禁止令』を布告する事態にまで発展してしまいました。

 

さらには、コーヒーの焙煎は王室以外では禁止となったため、貴族や司祭などの上流階級の人たちのみが楽しむものとなったのです。

 

とはいえ、それまでに普通に飲んでいたものが飲めなくなることに加え、コーヒーの魅力にはまってしまった人たちにとってはとても我慢できるものでもなく、民衆の中には不法行為であることは理解したうえで焙煎を行う人などが出るなど混乱をきたしました。

 

このような状態は20年近く続いたといわれています。この間、似た飲み物などを売る業者なども増加し、様々な原料で似たような飲み物が考案されるなどしました。

 

それだけ、コーヒーに魅了された人が多く、だれが何をしても、コーヒーを飲みたいという気持ちを抑えることはできないということを示している出来事といえるかもしれません。

 

 

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